謎の転校生
「お前の番だ」
カーテンを閉め切った薄暗い中で、有無を言わさぬ強い調子で、その言葉は放たれた。
彼は気怠げにちらりと目を上げたが、すぐにゆっくりとパイプを吸ってまた長く細い息を吐いた。
「面倒くせぇ」
呟きは完全に無視され、威圧的な言葉が続けられる。
「前回の<転校生>はB組、その前はA組…今度はC組の番だ。あまり同じクラスの者ばかりが消えるのも疑いを招く。今度は、お前が<監視者>となるが良い」
「…この間消えた奴は、Cだったんだがな。あ〜、面倒くせぇ」
もう一度、同じ溜息のような言葉を返して、彼は立ち上がった。
「ま、あまり彷徨かないよう、せいぜい釘を刺すとするさ」
「あぁ。墓に入り込まぬのなら、それに越したことはないからな」
彼は、身を沈めていたソファから立ち上がって、一つ伸びをした。
両手をポケットに突っ込んだやる気のない態度で、ドアの方に向かう。
ノブに手をかけて、それから、ふと思い出したように振り返った。
「今度の奴の素性は掴んでるのか?」
「書類上はな。両親の仕事で世界中を飛び回っていた、という触れ込みだ。…直前に滞在していた国は、エジプト」
「…そりゃそりゃ」
肩をすくめて、彼はまたドアに向き直った。
「あ〜、面倒くせぇ。そいつがただの転校生なことを祈っておくぜ」
「神にか?」
間髪入れずに返ってきた言葉に、彼は視線を落とした。
「あぁ、神様に、な」
壇上の雛川が、隣に立つ男子高校生を紹介している間、彼はじっとそいつを観察していた。
雛川とどっこいどっこい位に小柄で、細い。そして大きな眼鏡をかけていて、高校三年生とはすぐには信じられないような…むしろ中学三年生と言われても納得するような外見だった。
だが、日に焼けた浅黒い肌と色の薄い髪、それによく見なければ気づかないだろうが頬に走った傷痕が、ただの学生では無いようにも思えた。無論、考え過ぎで、ただ外を走り回るやんちゃな子供、という可能性もあるが。
何が楽しいのか、ずっとにこにこと笑っているそいつは、雛川に促されて、声を上げた。
「コンニチハ、葉佩九龍デス。両親ともニポン人けど、ずっとニポン語使ってなかったから、チョト苦手。でも、子供の頃喋ってるから、みんなと話してると思い出す思うですよ」
…無茶苦茶だ。
クラスの半分くらいがくすくすと忍び笑いを漏らした。
その反応は分かってるはずだが、そいつは真剣な顔で首を傾げて、しばらくして手を叩いた。
「えと、よろしうお頼み申し上げます」
そう言ってぺこりと礼をしたので、今度こそクラス中が笑いに包まれた。
雛川が困ったような顔で、「みんな、静かに」と言った後、転校生に向き直る。
「ねぇ、葉佩君。それはどこで覚えたのかしら?」
「えと、テレビでやってたですよ。ニポンの古典芸能、面白いですよー」
古典芸能?
転校生はにこにこ笑いながら、手を前に突き出した。
「『この紋章、見えないか?』とか、青とピンクのタトゥー見せて『忘れたか?』とか言うですよ」
いや、それは、古典芸能違うから。
彼は心の中でこっそり突っ込んだ。
「葉佩君…」
どうしよう、と言う顔で首を傾げる雛川に、転校生は慌てて手を振った。
「大丈夫ですよ、先生。俺、ちゃんと、ニポンにちょんまげの人、もういないの知ってるですよ」
…いや、たぶん、そこを心配されてるのでも無い。
彼はもう一度、心の中でだけ突っ込んだ。
とりあえず、転校生はにこにこしながら八千穂の隣の席に着いた。
元々<転校生>の多い学園だ。今頃転入してきても排斥するような風潮はない。
だが、朝には「また<転校生か>」「今頃<この学園>に転入するなんて、ろくな奴じゃない」と言った声が聞こえてきたのもまた事実。
そんな中でクラスの反応は上々。<面白い転校生>としてすんなり受け止められた。
見かけ通り、ただの人懐こい天然ボケの転校生なのかも知れない。
だが、もしも。
それが、演技なのだとしたら。
だとすれば、これは相当の曲者だ。
面白い、と彼は唇を歪めた。
面倒くさいことに代わりはないが、多少の興味を引かれたのも確かだ。
早めに接触しておくとしよう、と、彼は決めた。
そこまで考えて、そのための体力温存のために、と、そっと教室を抜け出したのだった。
屋上で昼寝をしていると、転校生を連れた八千穂に会った。
厄介なことに、八千穂が墓地に興味を示して、転校生に何だかんだと講釈を垂れている。
八千穂に裏は無い。ただの学園の一生徒に過ぎない。だが、元々好奇心とエネルギーの塊のような女だ。転校生を突っついて、自分の墓地への興味を満たそうとしている。
おかげで、転校生が墓地に興味を持ったのが、八千穂のせいなのか、本来目的としていたのかが分からなくなってしまった。
気怠く挨拶してやれば、八千穂が「またサボリ?」と聞いたので「あぁ」と答える。
だが、転校生は首を傾げて
「でも、皆守さ、いましたよー。後ろの左から2番目」
「え?そうだったっけ?」
あはは、と八千穂が誤魔化し笑いを上げた。
壇上から教室を見渡した、たった数分でクラス全員の顔を覚えたとでも言うのだろうか。胡乱げに見やれば、にこにこ笑った顔が見返してきた。
ちゃんと目の奥まで笑っている。
だからこそ、恐い、とも思う。
彼は、不自然で無い程度に、墓地や生徒会、規律について脅してみたが…どれだけ効いたのか分からない。
転校生は、ちゃんと聞いているように見えた。
「そうですかー。こわいですねー」
だが、しかし。
このやたらとにこにこしている奴は、一見忠告を聞き入れて納得したように見えて、たぶん、全く聞いてない。
そんな気がした。
彼の推測は当たった。
あれだけ言ったにも関わらず、転校生と八千穂は墓場に現れた。
怪しげな墓守の忠告は、外見も相まって信憑性が高いだろうに、相変わらずにこやかに応対している。
ただの暢気な、自分に危険など迫るはずがないと信じ込んでいる平和ボケした奴なのか。これまでの<侵入者>は、そのタイプが数としては多かった。いくら忠告しても、ただのドラマのようにしか捉えられない、哀れな現実主義者たち。
だが、彼は見た。
転校生が、墓守の背中に向けて浮かべた微笑を。
それまでの子供じみた表情が嘘のような、婉然としたそれを。
双樹が、赤面する初な男子をからかうときに見せる表情に似ている、それはつまり…蜘蛛が巣にかかる獲物を見つめる目だ。
美味しい美味しい肉を見つめる獣の目。
翌日、彼は八千穂に興奮したような報告を受けた。
「えへへ、他の誰にも話せないからさっ!皆守くんなら、夕べ葉佩君に会ったし!」
彼女の言によると、転校生は<宝探し屋>らしい。
遺跡を暴き、秘宝を奪う、トレジャーハンター。
彼らの<敵>の中でも、もっともプロフェッショナルに近い存在。
何故、よりにもよって自分の順番の時に、そんな厄介な者が当たるのか。
彼は嘆きながらも、念のため本人にも確認した。
「なぁ、葉佩。お前、トレジャーハンターなんだって?」
途端。
隣を歩いていたそいつは、派手にすっ転んだ。
弾け飛んだ眼鏡を探して、それから慌てて横倒しになった消火器を立てる。
「転んだですよー」
あはは、と照れ笑いを浮かべて、転校生は立ち上がった。ぱんぱん、と埃を払う。
それきり何も無かったかのように歩き出したので、呆れたように「おい」と言ってやると、視線はそのままで小さく呟いた。
「やっちーですねー。誰にも言わない言ったのに、駄目ですねー」
目線は真正面。見える横顔(多少俯瞰)は変わらないにこにこ顔。なのに、何故か背中がヒヤリとして、彼は身震いした。
そんな彼の様子に気づいたのか、転校生は振り返って、にっこり微笑んだ。
「やちょさん、言いにくいから、やっちー呼んでいいと言われたですよ」
いや、そこにびびったんじゃないから。
律儀に心の中で突っ込んでおいて、彼は何気なく言った。
「トレジャーハンターねぇ。じゃあ何か?お前、あの墓に潜る気か?」
「あはは、そういうお仕事ですよー。危ないので、付いてくるは、めっですよー」
「あぁ、別に興味も無いしな」
「それは良かったですよ」
本当に、と付け加えた調子が、夕べの微笑を思い出させた。
こいつは、<敵>だ。
彼は、はっきりと認識した。
こいつは、とても厄介な<敵>だ。
あまりにも厄介すぎて、放置も出来ない。
些か強引かとも思ったが、メールで謝罪してから、奴が遺跡に潜るのに同行することにした。
「…興味ない、言ったのにねー」
転校生がくすくすと笑うのに、八千穂が元気に言った。
「えへへ、やっぱり皆守君はいい人だねっ!何だかんだ言って、取手君を放っておけないんだよね!」
この女がいて良かった、と彼はしみじみ思った。
そうでもなければ、二人きりでこの黒い瞳にまっすぐに見つめられると、内心を暴かれそうな気がする。
「ふん…」
素っ気ないふりで顔を背ければ、それ以上は何も言われなかった。
ロープで墓の内部に降りると、八千穂が騒いだ。
「うっわ〜!嘘ぉ!中ってこんなことになってたの!?」
「黙って」
すぐに飛んだ言葉に、八千穂が黙る。わざわざ手で口を押さえてきょろきょろと周りを見回した。
転校生は、ゴーグルの横に手をやって何か弄りつつ、広間を見通すように見回した。同じ行為でも、八千穂の無駄の多い動きとは全く違う。まさしく<サーチしている>と表したいような滑らかな動きだった。
転校生は、アサルトベストを着て、マシンガンを背中に、腰にコンバットナイフを差している。もしも彼がこれまで転校生を疑ってなかったとしても、「これは一般人ではない」と断言できるような服装だった。
緑色のゴーグルを下ろしているとあの子供っぽい表情も見えず、小柄だが確かにこれはトレジャーハンターなのだと納得させられた。
「有視界にて敵影は見当たらず。動作反応、熱源反応共に無し。安全領域と確認」
淡々とした機械的な声が、転校生の口から漏れた。
それから、彼らの存在を忘れたかのように歩き出し、左に折れたところにあったロープを掴んでするすると登り始めた。
「待ってよ、葉佩君!」
八千穂が慌てて追いすがる。さすがに運動神経の良いだけあって、八千穂も難なく上に登った。
彼が柱にもたれて上を見ていると、小さな影が上を飛んで行った。続いて、壷が割れるような音がする。
それから、また戻ってきて…少しの間があった。
どうやら、次の床へは先ほどより距離が開いているらしい。
だが、また影が飛び…落ちた。
「葉佩君っ!」
八千穂の悲鳴が響くが、それは壁を蹴ってくるりと一回転して床に降り立った。まるで猫のような動作で、全く怪我一つしていないのは目に見えていた。
「大丈夫!?」
上から覗いた八千穂に、転校生が顔を向けた。
「動作確認。続行に支障無し」
ひどく滑らかなだけに、ぞっとするほど無機質な声に、彼は眉を顰めた。
これが、本性なのか。
映画に出てくる「任務となれば人殺しも厭わない軍人」のようだ。
「次の間に向かう」
一言告げれば、八千穂が悲鳴のように「待ってよ〜!」と叫んで降りてきた。
扉に手をかけたまま追いつくのを待っていた転校生に、八千穂が怒鳴る。
「ちょっと〜!どうなってるのよ、葉佩君!そんな冷たくすると、泣いちゃうぞ!」
転校生の手が動いた。咄嗟に身構える彼に、ちらりと視線が走った。
だが手の動きは止まらず、緑色のゴーグルを押し上げた。
「やっちーいるから、口頭で報告してるですよ。他に何か必要?」
声同様、無機質な目。
黒目がちと思った瞳が今は針穴のように瞳孔が小さくなり、一種異様なほどだ。
こういうのをガラス玉のような瞳って言うんだな、と彼はふと思った。
「な、何かって…何て言うか、その…せっかく一緒に来たんだから、楽しくお喋りしながら、とかさ!」
一瞬は怯んだ八千穂が、すぐに元気を取り戻して手を振り回す。
馬鹿な女だ、と彼は思った。
どれだけ脅しても、ピクニックか、楽しい冒険くらいにしか感じてない。
ここは、そんなものじゃない。
小学生が夏休みに田舎で発見する鍾乳洞なんかとは訳が違うのだ。
転校生の瞳が、更に色を薄くした。唇に、僅かな笑みが浮かぶ。少しも楽しくないのに浮かべる笑みは、無表情よりも冷たいほどだった。
「それは無理ですよ。敵の気配を察知するにも、こちらの位置を知られないためにも、喋るは禁止です」
「う〜…」
八千穂が鼻の頭に皺を寄せている。悩んでいる、というより不満たらたらといったところだろうか。
「出来ないなら一人で帰るですよ」
ロープを指さしたところを見ると、この場合一人で帰るのは八千穂、と言いたいのだろう。
「付いていくわよっ!うー…なるべく静かにしてるからさっ、ねっ!」
両手を合わせてお願いポーズを取る八千穂に、転校生はゴーグルを降ろした。
「next area行きます」
がたん、と扉が開いた。
上に向かう坂を登り、次の扉を開く。
まだ彼らからは奥は見えないが、転校生が瞬時にマシンガンを構えたことで、中に『何か』がいることを知った。
たたた、と乾いた射撃音が遺跡に響く。
完全に開いた扉から、後ろにいた彼らも廊下を見通せた。
ほぼ同時に、転校生の目の前でコウモリのようなものが吹き飛んだ。だが、本物のコウモリではない証拠に、血飛沫が飛ぶ代わりに白い光となって消えていく。
ピッとゴーグルから小さな電子音が鳴った。
「奥に2体」
相変わらず無機質な声で言い捨てて、転校生は駆けて行った。
ま、あんなコウモリもどき如きでやられるような<宝探し屋>なんぞ存在しないだろう、と彼は故意にのんびりと歩いて付いていった。
この遺跡の守人は、彼を傷つけない。
それを知っているから、彼は背後を気にすることなく、一人で離れていられるのだった。
「敵影消失」
彼が追いついた時には、戦闘は終わっていた。
おざなりに拍手してやったが、転校生は気に止めた様子無く、部屋の中央にある箱を開けた。
すぐに後ろから八千穂が覗き込む。
「ね?ね?何!?古代の秘宝とか!?」
転校生は、無言で瓶の液体を混ぜ合わせた。そして、扉に向かって投げつける。
じゅう、とイヤな音を発しながら、扉を封じていた鎖が溶け落ちる。
「…親切な遺跡ですよー」
転校生が、声を出して笑った。
「まるで、奥に来て欲しがってるみたいですよ」
そうなのだろうか?と彼は思った。
彼らは遺跡を守る。
善悪の判断など無い。ただ、それが使命だからだ。
<侵入者>は排除して然るべきなのだ。奥になど、来られては困る。
だが、彼らは、ヒントになる碑文を消したりしない。
内部に存在する宝箱は、守人同様周期に応じて復活する。
それは、確かに<侵入者>を利するだろう。
彼は、それの意味を考えたことは無かった。
そして、今も考える気は無かった。
積極的な介入など、彼の好むところではない。ただ漫然と怠惰な日々が流れていくのを眺める客人。それが彼の位置であった。
更に奥に進み、今度は<人>に近い者を敵とする。
だが、転校生に迷いは微塵も感じられなかった。
宙に浮かぶ者は、戴く水槽を撃ち抜き、ミイラのようなものにはマシンガンが利きにくいと知ると、コンバットナイフで薙ぎ払う。
一連の動作は流れるようで、ほとんど『機械的』とさえ言えるようだった。
ここまで来ると、さすがの八千穂も大人しくなってきた。
最初は敵を見ると騒いだり、やっつける度に「やったー!」と叫んでいたが、あまりにも転校生が淡々としているので、その声は尻窄みに消えていかざるを得なかったのだ。
手持ち無沙汰にラケットで素振りしている八千穂を余所に、転校生は碑文の前で膝を突いた。
表面の文字をなぞり、ゴーグルを操作して写し取っているようだった。
しばらく転校生が動かなかったので、彼は「漢字が読めないのか?」と考え、何気なしに転校生の肩を叩こうとした。
瞬間。
世界が逆転した。
何が起きたのか分からないままに、手首と背中に痛みが走る。
ちかちかと星が飛ぶ視界が戻ってくると、目前には銃口があって、さすがの彼も心臓が飛び跳ねた。
彼の腹部に足を置き、マシンガンを構えている転校生の表情は、相変わらず見えない。
あまりにも非現実的過ぎたのか、頭の一部が妙に冷静に周囲を観察していた。
転校生の斜め後ろにいる八千穂は、息を飲んで突っ立っている。もしも、あの女が悲鳴を上げたり、転校生に飛びかかったりしたら、あっさりと引き金が引かれそうで、「頼むから大人しくしててくれよ?」とのんびりと考えた。
耳が痛いほどの静寂の中、ピッと小さな電子音が鳴った。
「Not enemy。繰り返します。敵ではありません」
小さな小さな声が聞こえた。その女性の声は、ゴーグルから延びて転校生の耳に入っているインカムから漏れているようだった。
数瞬後、銃口が逸らされた。
マシンガンを背中に戻した転校生は、何事も無かったかのように、また碑文の前に屈んだ。
「おい」
さすがに声をかければ、転校生は淡々と告げた。
「背後に立つは敵。近寄る、危険」
彼は肩をすくめ、数歩下がった。
ようやく動き始めた八千穂が、不安そうに彼のそばに寄ってきた。
「皆守くん…葉佩君って、こんな人だったんだねー」
しょげ返った声で、同意を求められて、彼はゆっくりとアロマパイプをくわえた。
「言うほど、知っちゃいないだろう?葉佩のことは、何も」
この<宝探し屋>が<敵>だということの他は、何も。
そう、これは<敵>。
とてもとても厄介な、プロフェッショナルな<敵>。