.茶道と奥伝

相伝八種と真・行・草

 [相伝八種]

@    小習 A茶通 B唐物 C台天目 D盆点 E行台子 F真台子 G大円盆

十二段のうち公開された「真の行」と「行の行」以外を十段という。

 

[真・行・草の九段]

@真の真・行・草  A行の真・行・草  B草の真・行・草

 

「真・行・草」とは茶の道を極める方法論であり,心構えに差はない。

真・行・草は対等で,むしろ不完全の美ともいうべき「わび」「冷え枯れる」といった美意識から,真の格をやつすことによってより精神性の高いわびの境地に至ろうとする思想により,草こそ最も成熟したものである価値観の逆転が生じた。

 

[茶の湯の真・行・草]

@ 真の茶・・・奠茶(てんちゃ仏への供茶) 献茶(貴人への供茶)

A    草の茶・・・日常喫茶

B    行の茶・・・その中間,真の茶を和らげた行の茶

利休は「行の茶」の真・行・草の体系化を図った。

道具の真・行・草  座敷の真・行・草  

    平点前で草のわび茶を追及する。

    台子点前で真の書院の茶を追求する。

よって四カ伝は台子の割り稽古ではない

 

 

わびの美の7つ

 

 

(1)           不均斉・・・くだけた、破れた、ひずんだ、不釣合い、奇数

          形の正しいものより面白みがある。

 

(2)           簡素・・・・単純、粗相、素朴、野趣、

          茶道の簡素(枯淡,清楚、軽み)は,無の表現としてのもの。

 

(3)           枯高・・・・ふける、たける、枯れる、やせる、寂びる、

          生々しいものはいけない。

 

(4)           自然・・・・わざとらしくない、無心、無念、うぶな、素直で作為がない。

 

(5)           幽玄・・・・隠れる、暗い、漠然、鈍重、含蓄、余韻、奥ゆかしさ。

 

(6)           脱俗・・・・仏にも,祖にもかかわらぬ。

 

(7)           静寂・・・・淋しさ、孤独、ごたつかない,ひまな,落ち着き。

茶を点てるときの心構え(茶の7つの美より)

(1)           動作はすべて落ち着いたものがなければいけない。落ち着いた話方で落ち着いた静けさがないといけない。

 

(2)           俗を離れて点前をしなければならない。

 

(3)           落ち着きのあるしっとりとした暗さがある。

 

(4)           わざとらしくない素直で作為がない。

 

(5)           感覚的なものがすべて取り去られ,さび,渋み正す。

 

 

点前と宗教的意味

 

 

@    右足から出て、左足で帰る・・・裏千家では易学を中心に考えられた作法なので右足は

                 陽。点前は右足から入り,畳の敷き合わせの踏み越し

                 も右,すなわち陰の客に対して陽の側を常に客付けとして足を運ぶ。

 

A    天目茶碗と天目台・・・・・・・天目茶碗は陽だから陰の右手を早めに出す。

                 天目台は半月で陰だから陽の左手を早めに出す。

 

B    茶筅通し・・・・・・・・・・・行の行では三度打ちの三度見を行う。

                * ラン(火)六根(眼、耳、鼻、下、身、意)の清浄

                * パン(水)水火不散

      ウン(風)風火のよく塵を払う

また湯水を清める意味もある

禅宗では三諦(サンタイ三つの真理)とされる空仮中

という言葉があります。一切は空である。一切は仮有で

在る。そして一切は空でも仮有でもなく中である。

この三諦を悟るために修行をする。

点前の間かで最も精神を集中させている

 

C    柄杓を構える・・・・・・・・・・構えるとは単に柄杓を持つだけでなしに,一瞬間、

                  心が柄杓に集中されなければいけない。

点前の美

 

 

茶室にはすでに道具の取り合わせにより大きな美が構成されています。

その道具を動かしていく点前は、最も美しい形で物を取り,最も美しい形でお茶を立てる必要があります。

その動きに緩やかさがあり、また急があり,息を詰めるような間があるかと思うと,軽やかな動きもあります.それは動の美で,美の姿のつながりなのです。

この形を習得するだけが点前ではありませんが、茶碗を取るには取る心,茶杓を清めるには清める心、茶を立てるには立てる心があります。この心の厚み,豊かさ,が加わってはじめていい点前,美しい点前になるのです。

 

 

表千家の点前

 

 

表千家の点前は、もっとも簡素であり,もっとも自然な所作に終始することである。所作はすべて必要以外の殊更めいた動作をしない。ごく自然に動作することが必要である。真に冗を省き要のみを拾ったという感じである。

上手めいた所作,わざとらしい動作,目立つ動作,癖のあることは禁物である。

手前に少し慣れてくるとともするば上手らしい動作が出たり,自分の癖が出やすいものである。これが修練のひとつの関所である。と家元(千宗守)はおっしゃっています

点前とは 

 

 

(1)           点前とはお茶をたてるという目的のために不必要な回り道をしないで必要な所作ばかりを続けて最も早くお茶を立てることです。

茶道は約500年の歴史の中で工夫に工夫を重ねて真に要のみを拾うことです。

不必要な所作を茶道では嫌うということです。

 

(2)           点前には精神的の意味の所作を含むことです。たとえば茶筅通しには茶筅の穂をお湯で和らげることと茶筅の穂が折れていないか確かめるという目的があります。しかしその他に湯水を清めるという精神的な意味があります。

それぞれの所作の精神性を考えることが大切です。

 

(3)           お茶を立てるための必要な動作を続けて要に即した美しさを発揮することです。点前でお茶をたてるという慣用の目的を果たしながら,一方では美しさを追うのです。お辞儀をしてもするにも茶碗を持つにしても美しく持たねばいけません。

点前を間違えないように練習することの上に美しく動作することに目が開かなければならない。

 

点前の練習根本を

@    正確に動作すること Aいつでも正確に動作ができる Bきまりよく動作すること

                         と表千家の千宗左はおしゃっています